ここでは私のもう少し詳しいプロフィールをお伝えしたいと思います。
なぜ禁酒に特化した心理カウンセラーという職業を選んだのか?
これまでの失敗談や、どのようにして苦境を乗り越えたのか…………少々長くなるかと思いますが、興味のある方はぜひ読んでみてください。

・慢性的アルコール依存者は悲しい人だ。昔のように人生を楽しみたいと願いながら、アルコールなしの人生など考えられない。何らかの奇跡が起こって、いつかまた人生を楽しめるようになる、という悲しい妄想に取りつかれ、辛い思いをしている

有名なアルコール依存支援団体は、アルコール依存者の事をこのように言っています。
これはそれを体現するかのような私の体験談です。
私はもともとアルコールに弱い体質の人間でした。

すぐに顔に出ます。あアルコールを一口でも飲むと全身が赤くなります。

お正月のお屠蘇を口にしただけで、まるで茹でたタコみたいに顔も真っ赤になります。

若い頃、職場で飲みに行ったときよくからかわれたものです。

ですが、決してアルコールが嫌いだったわけではなく、どちらかというと好きな方でした。

正直に告白すれば、子供の頃から梅酒に漬けてある梅が大好きで、祖母の家に行ってはせがんでは、1つ2つその梅を食べさせてもらっていました。

そして、倒れるように気を失い、眠ってしまうくらいアルコールに弱い体質だったのです。

・もともと嫌いではなかったアルコール

学生の頃は、アルコールを飲むことをカッコいいことだと思っていた頃がありました。

親に隠れて飲んだり、友達とこっそり家で飲んだりしていたこともありました。

もちろんアルコールに弱い私は、その都度すぐに意識を失って眠ることになっていました。

ですがそれでも当時の私は飲んで、友達と一緒にいることが楽しかったのです。

それは、高校を卒業して働き始めてからもそうでした。

忘年会、新年会、懇親会、親睦会、歓送迎会、結婚式、などお酒の場は増えました。

同僚の笑っている顔。

普段は聞けない友達の話。

お酒が作り出す開放的で楽し気な雰囲気。

そのどれもが「お酒を飲むのは楽しいこと」そう感じられる空間です。

そう、お酒を飲むのは楽しいことのはずでした。

・お酒は本当に楽しいことの………はずだった

それがそうでなくなってきたのはいつからでしょう。

確か23歳くらいの頃だったように思います。

その当時私は3年間続けたネットワークビジネスに失敗し、借金だけが残っていました。消費者金融からの借金の総額は300万以上です。

月々の支払と生活費を差し引くと生活するだけでギリギリでした。自分の事にお金を使う余裕はありません。

借金を返せる目途も立たず、学生の頃の同級生はネットワークビジネスに誘う過程でどんどん離れていって、ネットワークビジネスに失敗したことや借金のことは恥ずかしくて職場の同僚にも家族にも言えませんでした。

しかし事情を知らない同僚は私を飲みや遊びに誘ってくれるのですが、嘘の理由をつけて断り続けるうちに次第に誘われなくなり、孤立するようになりました。

激しい後悔の念と自己嫌悪の気持ち、そして愚かな自分を責め苛む言葉が一日中延々と終わることなく頭の中で繰り返されるようになっていました。

ですが、その気持ちが途切れさせられる瞬間があったのです。

それは、お酒を飲んで酔っぱらっている時でした。

お酒を飲んで、意識を失っているあいだだけは静寂を感じていられたのです。

アルコールに弱くすぐに酔っぱらって眠ってしまう私は、その時だけ自分を苛む言葉と辛い現実から目を背けられたのです。

洋服や娯楽などにお金を使えなかった私は、現実逃避をするために更にアルコールを飲みはじめました。

「お酒を飲むのは楽しいこと」のはずが、いつの間にか「つらい現実から逃避する」為にお酒を摂り摂り始めていたのです。

・自虐的になり、人生を見失っていたとき

自分にとっての大きな転機が訪れたのです。人生は辛い事ばかりではありませんでした。

私のひとつ上の仲の良い親戚がいるのですが、その彼がたまたま遊びに来て、以前とは変わり果てた性格になった私の姿を見て色々と気遣って話を訊いてくれたのです。

ネットワークビジネスに失敗していたこと。借金の事をすべて話しました。そうすると、彼はお金を貸してくれると言ったのです。

貯金から借金分貸してやるから、それで全部払って、無理のない範囲で自分に返して行け、と。

自暴自棄になっていた私は、人の優しさや温かさというものを改めて実感しました。

こんな自分を気遣ってくれてる人がいる。心配してくれてる人がいて、手を差し伸べてくれる人がいる。

涙がでたのを覚えています。

感謝をしながらその申し出を受けました。

そうして私は、消費者金融にお金を全額返済し、その苦しみから解放されたのです。

情けなくは思うものの、後ろめたさや自虐的な気持ちは薄れていきました。

心機一転仕事も変え、経済的な余裕も出てきました。

友達や同僚との付き合いも徐々に回復してきて、人生に張りが戻ってきたように感じました。

親戚からも「良かった、明るくなってきたね」との言葉ももらいました。

しかし、それも長くは続きませんでした。

・恩人と思っていた人からの裏切り

2年もしないうちに、思いもよらない出来事がおきたのです。
ネットワークビジネスをやっていたときに知り合った『ある人』がいました。

当時その人には大変お世話になってました。まさに恩人といえる存在でした。

信頼して相談をしたこともあります。

私の家族ぐるみの付き合いもありました。

飲みに誘われて家に招かれた事や旅行に連れて行ってもらったり、まるで息子のように可愛がってもらいました。

その人からの脅迫が始まったのです。

「あのとき世話をしただろう」
「あのとき可愛がってやっただろう」
「あのときお前のためにあそこまでしてあげた」
「だから、私が困っているのだから助けるのが筋だろう」

強請でした。

恐喝でした。

しかも相手は反社会勢力の人でした。

更にその人は私の家族のことも持ち出して脅迫してきます。

従わない選択肢は思い浮かびませんでした。

消費者金融への借金がまた膨らんでいきました。

今度は借金プラスして親戚への返済もあります。状況は以前よりもかなり悪化していました。

その人に強請られているなんて家族には言えませんでした。

前の借金を全額出してくれた親戚に、また借金したなんて言えませんでした。

誰にも言えませんでした。

その人はその後もよく私の家に来ては家族と仲良さげに談笑するのです。

そして私を飲みに誘ったり旅行にさそったり今までと変わらない表面的な付き合いをしてくるのです。私を強請ながら………凄まじいストレスでした。

頭が混乱して訳が分からなくなりました。

視界が絶望で真っ暗になりました。足元から何かが壊れていく音が聞こえていました。

「もう誰か殺してくれ」という気持ちと「はやく楽になりたい」という気持ちだけが毎日毎日湧き上がってきて、気が狂いそうでした。

そんな私が、何をしたのか………?

そう、再び大量のアルコールを飲むようになったのです。

・更なるアルコールの深みにハマる

もう自分のために使う金銭的な余裕はありませんでした。

それどころか家族へ渡す生活費すら厳しいときもありました。

家族からも不審に思われて「どうしてそんなにお金がないのか?」など尋ねられましたが、答えられませんでした。

全額下したお金が入った財布を落としたなどと苦しい言い訳で、誤魔化したことも何度かあります。

事情を知らない家族から、親戚から、友達から、同僚から何か尋ねられるたび嘘を言っていました。

そんな人達に嘘をつくのが辛くて、ますますアルコールを飲むようになりました。
そんな周りの声を聴きたくなくて、ますますアルコールを飲むようになりました。
そんな現実から、目を背けたくて、ますますアルコールを飲むようになりました。

アルコールで意識を失っている間は何も考えずにいられるからです。その間だけが落ち着ける時間でした。

その時の私にとって、意識がない時間だけが安らぎの時間だったのです。

・生活の破綻と破産

消費者金融も限度額いっぱいに借入、お金が工面できなくなるまでに長い時間はかかりませんかかりませんでした。

このぎりぎりの限界の段階にきて、私は初めて家族に全てを打ち明け、警察と弁護士に相談する事にしました。

そうすることで、なんともあっさりと脅迫は無くなり、その人との縁も切れました。

そして弁護士に相談して消費者金融の借金を特定調停などの手続きすることでお金の問題も解決の道筋が経ちました。

苦しみと辛かった気持ちが薄れてゆくのを実感しました。

それと同時になんで自分は独で苦しんでいたのだろう。
どうしてもっと早く人に相談しなかったのだろう。
なぜ人を頼らなかったのだろう。
誰かに相談したり、頼ったりすればもっと早く苦しみから解放されたかもしれないのに………
今までの膨大な辛みと、苦しみの時間はいったい何だったのかというむなしさを感じていました。

私を苦しめていた人との縁も切れました。借金の苦しみも見通しがつきました。

これは私が望んでいたことでした。

望みがかなったはずなのに、なぜか心は晴れないのです。

私の苦しみの原因が無くなった。

ただ、それだけでした。

それだけで人生が好転するようなことはありませんでした。

それだけで、すでに習慣化したアルコールをやめることはなかったのです。

・「楽しむ」目的から「酔っぱらう」目的へ

いつの間にか、お酒を飲むのは楽しいことから、お酒を飲むことは辛い現実から目を背ける為の手段になっていました。

最初はビール300mlで満足していたものが、いつの間にかビール500mlになっていました。

しかし、それでは酔いが弱く感じられるようになり、焼酎になり、焼酎の水割りお湯割りでは満足できなくなり、焼酎を生で飲むようになりました。

そしてそれでも酔いが物足りなく感じられ、焼酎の生とビール500mlを飲むようになったのです。

このぐらい全然大丈夫という人もいるでしょう。もちろんアルコールに強い弱いの個人差はあります。

ですが、ここで注目してほしいのは美味しいから、好きだから飲んでいるわけではなく、『酔っぱらう目的』で飲んでいたということです。

世界で初めて心臓移植を行った優秀な外科医である、クリスチャン・バーナード博士の著書にアルコール依存のチェックシートというのも存在します。

Q1「何か問題に直面しそうだと思ったとき、お酒を飲みますか?」
Q2「お酒は味を楽しむのではなく、身体への効果を楽しむために飲みますか?」
Q3「昼食の前に一杯ひっかけようと仕事場をこっそり抜け出したことがありますか?」
Q4「ひとりで飲みますか?」
Q5「飲酒のあと記憶が無くなった経験はありますか?」
Q6「他の人は飲むのが遅いと思うことがありますか?」

一つ以上『はい』と答えた人はかなり注意が必要。飲み過ぎの可能性があるから医者に診てもらうこと。禁酒の必要はないかもしれないが、『飲酒コントロール』が必要とのことです。

当時飲酒をしていた私はこの問いのうち五つに当てはまっていましたが、お酒を飲んでいる人が正直にこの問いに答えたら、『はい』が二つ以下の人はいないのではないでしょうか?

これで仮に医者にかかったところで、何をしてくれるでしょうか?

きっとこう言われます。

「飲酒コントロールしてください」

ですので、ここで大事なのは『飲酒コントロール』というキーワードです。

当時の私は『飲酒コントロール』出来ていなかったと思います。

あるアルコール依存症支援団体は、アルコール依存者を次の様に定義しています。

「普通に飲む人というのはお酒の摂取量をコントロールできる人のこと。一方のアルコール依存者というのは、お酒を一滴でも口にするともっと飲みたい衝動にかられ、ついには際限なく飲んでしまう肉体的、精神的な病気にかかってる人」

まさに私はその様になっていっていました。『飲酒コントロール』が出来なくなっていたのです。

・解放された事によって増えた酒量

苦しみから解放されたから私の飲酒量は減るどころか、逆に増えていました。

むしろお金の余裕ができたことで、それまで以上の量のお酒を飲むようになったのです。

最初はビール一杯で朝まで眠っていた私です。焼酎を飲んだ日なんて丸一日寝ていました。

それが、焼酎とアルコール度数9%の缶チューハイを同時に飲んで眠っても、4時間後には目を覚まし、近くのコンビニまでお酒を買いに行き、飲んで、また夜中に目を覚ましてはお酒を買いに行くようになってました。

家でひとりで飲んでいるのに記憶を無くすこともありました。いつ眠ったのかわからないことがしょっちゅうでした。

飲み過ぎて嘔吐してはまた飲むを繰り返し、部屋を間違えることもあったそうです。

お酒がないときは料理酒にも手を出しました。神棚のお神酒にまで手を付ける始末。

起きてる時間は酒を求め、それ以外の時間は酔いつぶれて寝ている………そんな状態でした。

ですからアルコールが抜けないまま仕事に行くこともありましたし、会社まで車両を運転して行ったことも一度や二度ではありません。

これではとても「飲酒コントロール」ができているとは言えません。アルコール依存症だったと思います。

酔っぱらっているときは現実を見ないで済みました。

飲み過ぎて気持ちが悪いときは虚無感を感じずにすみました。

意識を失って寝ている間は家族からの煩い小言を聞かずにすみました。

そして、そんなダメな自分とも向きわないですんでいたのです。

・禁酒のきっかけは些細なことだった

寝ている時間以外は酒を飲むという酒浸りの生活を5年以上も続けていた中なかで、「このままでいいのかな?」というモヤモヤとした気持ちは感じていました。

これまでも、節酒や禁酒を試みたことは何度もありました。

お酒の量を少なくしてみたり、休肝日を設けてみたり、焼酎をビール一本だけにしてみたり、気持ちを紛らわすために走りったり、ネットゲームに没頭したり考えつく限りのアプローチを繰り返しました。

ですが何度も挫折を味わいました。

家族にわめきちらし、自虐的な醜態をさらしたことが何回もありました。
私が禁酒を試みるたび、家族はとても喜んでくれました。

しかしその喜びを踏みにじるように、再び飲み始めるばかりか、それを周りや環境のせいにしていたのです。

本当に辛い想いをさせたと思います。そして心のどこかで禁酒できない自分を責めていました。

借金をし、人生に行き詰まり、お酒で荒れる自分………何度も禁酒に失敗し、自尊心はズタズタに傷つき、それでもこの惨めな状態に終止符をうちたい、そんな思いでした。

でもこれ以上期待させて家族を失望させたくないし、それ以上に、これ以上失敗して惨めな想いをしたくなかったのです。

「行動しなければ失敗はしない」という思いに囚われて身動きが取れなくなっていたように思います。

そんなある日の夜中、酔いが切れて目を覚ました私は、ドラマを見ました。心理学を取り扱ったテレビドラマです。

その主人公は自分の過失で殺人犯を挑発したことから、その犯人に妻と娘を殺されてしまい、自暴自棄になったり、精神病院に入院した過去を持ちながらも、その犯人への復讐に燃え、自分の能力を犯罪捜査に役立てていくといった内容のドラマでした。

持ち前の観察眼と洞察力、心理学を巧みに生かして活躍していく様は観ていてとてもワクワクしました。

その主人公と私は境遇も立場も全然違いますが、ものすごく共感を得ました。

なにより、過去に親しかった人から騙されたり脅された経験のある私は、二度と他人から騙されないようになりたいと思ったのです。

それが、私が心理学を学ぼうと思った最初の動機だったりします。

ですので、最初に買った心理学の本はよくある「人を操る黒い心理学」みたいなものでした(爆)。

ですが、こんな小さく的外れな動機から私の禁酒ライフが進んで行くなんて、この時の自分には想像もしていないことでした。

・まず心理学を学ぼうと本を読むことに

本を読むには酔っぱらっていては出来ません。

しらふで起きている必要があります。

だからお酒を飲んでいた時間を少しだけ本を読む時間に変えるようにしました。

そうすると酔っている時間が短くなりました。

起きて活動している時間が増えてくるので、必然的に飲酒量も減ってきました。
そうすると、いままで家で酔い潰れて寝ていただけの私の行動が変わり、家族と接する回数が増えました。

しらふでいるわけですから家族からの煩わしい小言も減っていったのです。

私はその煩わしい小言を聞くのが嫌で飲んでいたのですから、当然、ここでもお酒の量が減ることになりました。

更に心理学の本を読み進めるうちに、様々な知識が身についてきました。

そうすると今度はそれを試してみたくて、職場の人ともコミュニケーションをするようになりました。

もちろん、知識で得たことを試そうとするわけですから、今までのように酔っぱらってたらできません。

つまり仕事に行くときもお酒の抜けたスッキリした状態で行かかなければならなかったので、さらに飲酒量が減りました。

このようにして自分で意図しないうちに、どんどん飲酒回数が減少して行っていたのです。

お酒に溺れていた生活を送っていたときは二日酔いと倦怠感で身体以上に気分も重く、なにをする気分にもならなかったのですが、じょじょに身体も気分も軽く感じる日々が増えてきました。

そして、私はもっと他の心理学の勉強をしたいと思うようになっていました。

いつの間にか私は、少しづつですが未来に目を向けられるようになってきていたのです。

その為にはどうしたらいいだろう? 私はこう考えました。「お酒をやめればもっと学びの時間が増えるんじゃないかな」と。

・アルコールからの解放。そして………

まずは今できることからです。

アルコール依存を克服するために禁酒の方法をネットで検索したり、近隣の図書館に足を運び民間療法などを調べ始めました。

気持ちを落ち着ける為に瞑想や座禅、運動療法、マインドフルネスなど効果のありそうなものは何でも取り入れました。

そしてかなりの試行錯誤の末、ついに自力で、10年以上も続けてきたアルコールを断つことに成功したのです。

最初に記した通りある大手アルコール依存支援団体はこういっているのでした。

慢性的アルコール依存者は悲しい人だ。昔のように人生を楽しみたいと願いながら、アルコールなしの人生など考えられない。何らかの奇跡が起こって、いつかまた人生を楽しめるようになる、という悲しい妄想に取りつかれ、辛い思いをしている。

確かにアルコールに依存していた時はそうでした。

お酒を支配していたどころか、お酒に支配されていたのですから。

飲んでいる時は飲んで恥と惨めさに悩み、飲めない時は欠乏感と惨めさに悩んでいました。

来る日も来る日もお酒が飲める時間になるのを待ち焦がれ、飲める時間になれば酩酊と泥酔の時間に飛び込んでいく………そんな人生を私は送っていたのです。

しかし、支援団体曰く世界でもっとも悲しい人間の一人だった私は自分の意志で行動し、もっとも悲しい人から、アルコールなしの人生を考えられるようになり、再び人生を楽しむことができる人になったのです。

まず心身ともに健康的になりました。

病気の時には早く元気になりたいと切に願います。

ところが、いったん健康を取り戻すと、それが当たり前だと思ってしまします。

ですがお酒を飲んでいる時は、身体が重くても病気ではないので、これ以上健康になれるとは考えませんでした。

私も大酒飲みの時は、自分が病気だとは思っていませんでしたが、でも、元気でエネルギーに満ち溢れ、生きているだけで素晴らしいと思える気分を忘れていたように思います。

まるで、陰鬱としたモノクロの悪夢の世界から、太陽がサンサンと輝く色彩豊かな自由の世界に飛び出したような気分でした。

この経験は自分にとって、計り知れない自信につながりました。大げさでなく自分の新しい人生が始まったと思える出来事でした。

この時、私の禁酒に大きい効果をもたらしたのが心理療法でした。

心の仕組みや潜在意識の活用次第で人生の質が大きな変化をすることに対して、多大な興味を覚えました。

おかしなもので、心理学を学び始めた最初の目的は「二度と他人から騙されないようにするため」だったはずなのに、心理療法の本を読んでその効果が分かるにつれ、考えが変わってきました。

同じ様に人に影響を与えるのならば、プラスの効果を与えたい。

癒しを提供できたならどんなに素晴らしいことだろう、と考えるようになっていました。

しかしその時は漠然と心理カウンセラーになりたいと考えただけで、プロのカウンセラーになれるとは思っていませんでした。

・カウンセリングの講義を受講

心理療法に興味をもった私は更に心理学の本を読み漁るようになりました。

それだけでは実感が得られず、やはり本格的に学ぶためにプロの心理カウンセラーの講座を受けることも決めたのです。

当時の私には決して安くない値段でしたが(笑)。

でもそれは値段以上の価値がある体験でした。

仕事と講座のダブルワークを始めました。

少し前まで酒浸りでほぼ引きこもりだった私は社会との接点が薄くなっており、対人関係にもかなりの苦手意識がありました。

他の受講生とする実習も失敗の連続で、時に落ち込みながらも、徐々に乗り越えてゆきました。

そうして学ぶにつれ、自分にも良い変化が表れてきました。

辛かった過去と、アルコールに依存していた自分と向き合い、それを受け入れられるようになったのです。

そしていつから自分は飲酒コントロールが出来なくなったのか、を冷静に考えてみました。

子どもの頃、祖母の家で梅酒の梅を食べた頃から?
学生の頃、隠れて友達と飲んでいた頃から?
ネットワークビジネスに失敗した頃から?
借金で自分の自由が無くなった頃から?
知り合いの脅迫が始まった頃から?
それらから解放された頃から?

これらは全て忘れることができないことですし、アルコール問題の節目でした。

しかし、これは『飲酒コントロールできなくなった時』ではなく『飲酒コントロールが出来ていないと事実を認めた時』でした。

いつ、自分は飲酒コントロールできなくなったのか………私にはわかりませんでした。

そして思いました。もしかしたら、いつコントロールを失ったのかかがわからないということは、『はじめからコントロールなどできていなかった』からではないのだろうか、と。

・アルコール依存者とは?

バーナード博士はこう言っています。

「飲み始めてからアルコールに依存するまで、人によって2年から60年、平均では10年から15年かかる。自分が大丈夫だと思っている人も油断しない方がいい」

2年から60年というのは、かなりのギャップです。つまり10代で依存してしまう人もいれば、70歳になって初めて依存症になる人もいる。つまり、いつ依存症になってもおかしくないということではないでしょうか?

つまり、アルコール依存者と普通に飲む人の間に境界線などなく、アルコールを飲む人は皆、同じ滑り台の上に座っているのではないでしょうか?

もちろん、滑り台を滑り落ちるスピードには個人差があります。

ですが、お酒が原因で家族や友人を失いそうな時、つまりお酒が人生を台無しにしているとわかったとき、その時には節酒や禁酒が必要です。

しかしそうと気づきながらも私は自分の意志で、お酒をやめられませんでした。

私は気付きました。

アルコール依存者とは『飲酒をコントロールできなくなった人』ではなく、
『飲酒をコントロールできてないことに気付いた人』なのだろうと。

それに気付いたことが、大事なことでした。

私が心理学を学んで実感したことがまさに『気付くことの大切さ』でした。

その自分の問題行動(特定の行動)に気付いたということは、行動と自分自身を分離して扱えるということを意味しているのです。

気付けたからこそ、それを取り扱うことができるのです。

気付けなければ、その問題行動は完全に無意識化されていて取り扱うことはできないのです。

そして、講師の先生から「カウンセラーにとって、自分の短所は長所ですよ」と言われたとき、全ては繋がっていてアルコール依存症だった自分がいたから、今の自分がいるのだと考えられ

るようになったとき、これまでの苦しみや不幸な出来事すらも不思議と受け入れることができました。

そして、禁酒に特化したカウンセラーになろうと決めたのです。

・狭義の禁酒と広義の禁酒

先生のもとで心理療法の技法を学んでいく中で、もっとも注目したのが人間の意識レベルの概念でした。

それは人の意識をレベルを5段階に分けて体系化したもので、人はその意識レベルのいずれかの段階に相応した思考と行動をしているというものです。

【  環境  】
【  行動  】
【  能力  】
【信念・価値観】
【 自己意識 】

この5段階で、下に行くほど個人への影響力は強いとされています。

人は何かを変えるとき、この中のいづれかだけを変えようと試みようとするのです。

それの概念を取り入れたのが、『狭義の禁酒』と『広義の禁酒』の考え方です。

たとえば、アルコール依存症の人なら専門の医療機関に入院させて「お酒が飲めない環境」へ変えるとか、お金を渡さなくて「お酒を買いに行く行動」をさせないようにするとか「お酒を飲まないようにすると決心する」などでもいいでしょう。

または断酒会などの互助会に参加して「禁酒のための能力を養う」のもいいと思います。

こういった【環境】【行動】【能力】レベルでの禁酒行動の事を私は『狭義の禁酒』と呼んでいます。

そしてもっと深い部分の【信念・価値観】や【自己意識】を含めた禁酒行動の事を『広義の禁酒』と呼んでいます。

たとえば、多くの人が「自分に厳しく、意志を強く持ってば禁酒はできる」と思っていることと思います。

実際に私もそう思っていました。「お酒くらい、どうせいつでもやめられる」と高を括っていました。

そしていざ精神力で節酒や禁酒を試みるとどうなると思いますか?

「絶対やめられない」と思い知らされます。

お酒を断つというのは考えただけでも辛いことのはずです。

なぜなら「断つ」という言葉自体が犠牲を連想させます。

そうするとまるで自分が何かの犠牲を払ってるように感じてしまうものなのです。

私たちはなにかを意識したり思考するとき、必ず言葉を使って考えます。

意識=思考=言葉なのです。

そうした暗い気持ちになって落ち込んだ状態で何か新しいことを始めても、とてもワクワクした気持ちにはなれないものです。

そして落ち込んだ時、まずなにに手が伸びると思いますか?

そう、お酒です。

もうお酒を飲めないという苦しみに加え、その苦しみをやりすごすためのお酒も手放さなければならないという「二重苦」で禁酒をスタートすることになります。

そう考えるとますます気分が重くなります。そうなるとやはり気持ちを軽くするためのお酒の重要性が増してきます。

この負のスパイラルが永遠と続くわけですが、それを精神力や意思強さだけで乗り切れるでしょうか?

そして、お酒を止めるということは言うことは、同時に『止め続ける』ということです。

残りの人生、お酒を飲みたい衝動を意志の力で抑え続けたまま生きることになるのです。

その我慢を一生続けることができるでしょうか?

既存の精神力や意思の力による断酒とは、我慢し続ける人生を意味するのです。

私はこの『狭義の禁酒』をして苦しみました。

ですので、相談に来る皆さまには『広義の禁酒』をしてほしいと思います。

一般的な禁酒………つまり狭義の禁酒の場合、それを乗り切るのに十分な精神力があったとします。

二重苦の辛い状態が数日間、数か月間、やもすれば数年間続きます。

すると身体の調子がよくなり、経済的に以前よりも潤うと思います。

人間関係も良好になり仕事も円滑に進むようになるでしょう。

このような目に見える禁酒の成果が実感できれば、禁酒を続けるのはやさしいと思うかもしれません。しかし、実際には、禁酒はどんどん難しくなっていきます。

やめたいと思ったもともとの目的と『禁酒する』という目標が達成されしまうからです。

禁酒の期間が長くなればなるほど、飲んでいた時の苦い経験を忘れていき、飲まないで我慢する理由も薄れていってしまいます。

そして一杯だけなら………ということになりかねません。

我慢も限界までくれば、飲むための言い訳のひとつくらい簡単に見つけられてしまいます。

アルコールには脱水作用があります。一杯飲めばもう一杯飲みたくなります。

また、アルコールは抑制心を弱める効果もありますから、二杯目にも簡単に手が伸び、三杯目、四杯目と続くでしょう。

ですので、禁酒という【環境】や【行動】【能力】といった『狭義のレベル』だけではなく、アルコールに対する【信念・価値観】や【自己意識】を含めた『広義のレベル』で変わらなければ、またアルコール依存へと逆戻りしてしまう可能性が高いのです。

アルコール依存症の医師の先生の中には、飲み屋に行くな、飲み友達と遊ぶな、誘惑のある場所へ行くな、と指示される人もいます。

ですが、そんな態度ではなかなかお酒がやめられなくなるのは当然です。

もし自分にとって本当に仲の良い人達が、お酒を飲む人だったら、その人を避けたり、わざわざ他の人と付き合ったりすることになり、大きな犠牲を払うことになってしまいます。

そんな辛い気持ちではとても禁酒を「ワクワク」した気持ちで始めることができません。

でも心配はいりません。私はこの広義の禁酒を行ったことで、今ではお酒を飲む場に行って、周りがお酒を飲んでいても、お酒を飲みたいという気持ちにならなくなりました。

アルコールを摂取せずにその場を楽しむことができるようになったのです。

以前は酒に依存して仕事以外は家に引き籠っていた私がです。

むしろ、そういった場に行くことによって、世間では難しいとされている「禁酒ができた」という成功体験を実感できて嬉しくなるので、以前より積極的にそういった社交の場へ出るようになりました。

これこそ、お酒なしでも楽しくやっていける証拠のようなもの。

お酒の席で、やはり周りの人たちが私にお酒をすすめてきます。「ほらほら、飲むと気持ちも良くなるよ」「こんなに美味しいのに、もったいないなあ」「飲むともっと楽しくなるよ」など口々に(笑)

そこで私は言います。

「あ、そうか。お酒なしでも気分がいいから、やめたことも忘れてましたよ。みんなも試してみたらどうですか?」

そう言われた皆は、きっと私が惨めな気分なはずだと思っていたのに、実際にはとてもリラックスして楽しそうなので驚いた様子でした。

こいつはなんてすごいんだ………と敬服していたかもしれませんね(笑)。

でも、何より大切なのは、自分自身が「自分はすごいだ!」と思えることかもしれません。

今ではこれまでお酒とセットになっていたシチュエーションとお酒を切り離して楽しんでいます。

結婚式、飲み会、旅行、クリスマス、正月、お盆、ゴルフ大会、外食など。これらのシチュエーションはすべて、それ自体が楽しいものです。

それなのに「自分の身体にアルコールを入れて感覚をマヒさせないと楽しくない」と信じてしまうと、本当にお酒なしでは楽しくなくなってしまいます。

お酒をやめたら、すぐに飲み会などに参加するのもいいかもしれません。

そうすれば、「お酒をやめても、十分楽しめる」と納得できます。

そうすると禁酒の成功体験は更に強化されますし、シチュエーションとお酒の関連付けを一つ一つ切っていくプロセスもワクワクして臨めるものです。

お酒をやめた時に、このような間違った関連付けを心から消してしまうことも大切です。

そうすることで、れまで通りの状況で周囲の人達とも付き合え、飲み会やパーティーにも参加できるようになります。

・ワクワクした気持ちで禁酒を始める

禁酒にしろ、禁煙にしろ、ダイエットにしろ、それらは目標を叶えるために設定するはずです。

ですが、禁酒や禁煙をするときにそんなワクワクした気持ちで行動を起こす人がどれだけいるでしょうか?

恐らく、ほとんどいないのではないかと思います。

ですがこのワクワクした気持ちとは非常に重要なことです。

なぜなら目標が一番達成されるときというのは、ワクワクして行動を起こしている場合の方が圧倒的に多いからです。

そういう状態のとき、人は高いモチベーションで、目標達成のために質の高い行動をするのです。

ダイエットに失敗する原因は「痩せなければいけない」という恐れを動機にして頑張っているから続かないのです。

禁酒や禁煙も同じで、「やめなければならない」と悲しく辛い気持ちを動機にしているから続かないのです。

ダイエットには、みんな成功するタイミングがあるそうです。

それは結婚式が決まったときだそうですが、きれいな自分を見せたいとワクワクしているから、このときばかりはダイエットに成功するのです。

ですので、禁酒を始めるときも「やめること」そのものを目標にするのではなく、禁酒をすることで、「どのような状態になりたいのか」あるいは「どのような結果がほしいのか」に意識をフォーカスすることはとても重要になります。

アルコールが身体から抜けるとき、離脱症状というものが起きます。

個人差があり普通は2~3日で収まるものですが不快感が伴うこともあります。

ですが、それらはお酒をやめたから起こるのではなく、お酒を飲んでいたから起こっているのです。

高いモチベーションが持てていれば、こうした軽い離脱症状等にもまたワクワクした気持ちで臨めます。

「一杯飲みたい」「物足りない」「ウズウズする」などもしそう感じとき、「これが離脱症状か………これはお酒を飲んでる人なら誰でも感じることなんだ。身体からアルコールが抜けて行っていってるところなんだ」こう考えられたなら、軽い離脱症状を大きな喜びに変えることができるのではないでしょうか?

忘れないでください。離脱症状というのは好転反応ともいうべき、あなたが真面目に禁酒に取り組んでいる事の印であり、アルコールが身体から抜けて行っている証拠………そして禁酒が上手くいっている証なのです。

・長くなりましたが、禁酒の心理カウンセラーとして

すべての来談者の皆さまは、すでにその問題を解決するのに必要な資源や強さをすでに持っているものと思います。

そして自分たちにとって何が良いことなのかをよく知っていて、自分たちなりに精一杯やっていることを私は知っています。

私と一緒にポジティブな将来のイメージを作り上げ、現実的で達成可能なゴールを共に確認し、それぞれの「飲酒という問題」の解決に向けての共同作業を進めていきませんか?

私もかつて、アルコールに依存し辛い想いを体験しました。

何度もやめようとして禁酒に失敗し、苦しい思いをしました。

アルコールで辛い経験をしたことがあるから、その辛さが自分の事のようにわかります。

アルコールで悩んだ経験があるから、同じ悩みに寄り添えるし、共感することができます。

アルコールに苦しんだ経験があるから、同じ苦しみの人の気持ちがわかるし、それは必ず克服できるものだと信じています。

アルコールの悩みを抱えてる人に寄り添い、クライアント自身の力でそれを克服できるようサポートして行けるカウンセラーになりたい、そう思っています。

止めたくても止められなかったアルコールの悩み、一人で悩まず、同じ経験を持つ私に是非ご相談ください。

ご不明な点もお気軽にお問合せ下さい050‐5806‐4025

メールでのお問い合わせはこちら お気軽にお問合せ下さい